こんにちは!
農家のためのウェブデザイナー 三本木絵未です。
今日は、私がなぜ「農家」×「情報発信」なんてニッチな仕事を選んだのかについてお話ししたいと思います。
自給自足したかった子ども時代
よく、憧れの暮らしを絵に描いていました。
小川にかかった橋を渡り、緩やかなクネクネの坂道を登るとそこには我が家。
鶏をかって、畑で野菜を育てて、山菜とって、川では魚釣り。
そうやって、誰にも依存することなく、気を使うことなく、自然と戯れて暮らす。
育ったのは福島県福島市。
田舎でも都会でもないビミョーな住宅地で、早くも人間関係に疲れていた小学生は、
たまに父が連れて行ってくれる、海釣りや山菜採りが癒しの時間だったようです。
それが毎日続くのならば幸せだろうと、自給自足の暮らしを夢見ていました。
新聞記事に救われる
そんなこんなで、子どもらしからぬ夢を見て学校では完全に浮いてた三本木。
15歳になると、さらに浮くようなことをやり始めるんですね!
NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン の福島支部(現在は解散)を設立。
国内外の貧困や差別から子どもをFree(解放)する。
「子どもには世界を変えられない」という考えから子どもをFree(解放)する。
フリー・ザ・チルドレンは、カナダの12歳の少年がスタートした活動で、
この2つのミッションに向かって子どもが主体となって活動しています。
私は仲間を募り、教育を受けることのできない発展途上国の子どもの支援を目的に街頭募金を行ったり、
啓発イベントやワークショップ、講演活動などを行なっていました。
始めたのが中3の受験前ということもあり、
周りの大人はあまり良い顔をしてくれなかったのですが、
初期から応援してくれたのがピアノを教わっていたY先生。
新聞社にプレスリリースを出してくれたおかげで、
私の活動が新聞で取り上げられるように!
新聞って魔法みたいなんです。周りの大人の態度が軟化してくんですね。
その後、テレビやラジオでも取り上げていただきましたし、
HTMLを勉強して自力でHPを作ったりしましたが、
やっぱりあの時の新聞効果はすごかった。
情報発信によって、狭かった自分の世界がどんどん開けて行きました。
そして、メディアの種類ごとに得意な事が違うのね、と、身をもって感じたのでした。(この話は機会があれば、また。)
食べ物から世界を変えたくなった
NPO活動に明け暮れて受験勉強している暇がなかったので、
大学にはAO入試でトークと資料提出(ここでも新聞記事に救われる)のみで合格。
入学早々に社会活動サークルを立ち上げたり、
大学祭で4年間カフェ営業したりと色々ありましたが、
(長くなるので経緯は割愛します...)
フェアトレードのドライマンゴーがめっちゃ美味しくて感動したので(雑)、
食の感動を通じて世界を変えたいと、料理人を志すように。
人生を変えた人参
卒業後は日本料理→イタリアン→創作和食 と転々とし、
途中メニューブックのデザインや、新メニューの開発なども経験させていただき、
充実した日々を送っていましたが、出会ってしまうんです。
人参に。
季節は2月。
私の前には、沖縄から届いた島人参と、岩手の雪下人参がありました。
とりあえず齧る。
いろんな部分を齧る。
2つを食べ比べていると、
甘みを感じる部分や、香りを強く感じる部分が違うことに気づきました。
なぜ同じ人参でも違うのか考え、「成長点は香りが強くなるのではないか」との仮説を立て、
取引のあった生産者Sさんに聞いてみると...
「ん〜、どうだろうね〜」みたいな感じでスルーされてしまい、
これは自分で人参を育てて検証するしかない!と、農業研修先を探すことに。
水稲と養鶏がメインで、自給自足用の野菜と穀物を作っているという農園を四国に見つけて、24歳の春、いよいよ農業の道へ進みます。
(しかも敷地内に川が流れている!理想の暮らしきたー!)
あの時Sさんにズバッと回答されていたら、今頃は飲食店でも経営してたかもしれません。はぐらかしてくれてありがとうございます。
長くなったので、この辺で。
次回は、
*ワイルド三本木
*憧れのカフェ店長〜やっぱ農業でしょ
*個人事業主に憧れる